鹿角市の市長を失職させられた、元鹿角市長の関厚(せき あつし)さん。
パワハラ問題が失職のキッカケだったようですが、関厚さんとはこれまでどんな学歴や経歴を歩んできたのでしょうか?
調べたところ、関厚さんは京都大学農学部林学科を卒業後、農林水産省で長年キャリアを積んだ後に政治家になっていたことが判明しました。
この記事では関厚さんの学歴、経歴、家族構成、プロフィールについて詳しく紹介します。
関厚のプロフィール
関厚さんのプロフィール情報はこちらです。
氏名: 関 厚(せき あつし)
生年月日: 1954年(昭和29年)2月14日
出身地: 秋田県鹿角市
血液型: A型
趣味: 百人一首(2019年にはねんりんピック和歌山大会に秋田県代表として出場)
ニックネーム: 「イカさん」、「あつしちゃん」、「ジャムおじさん」
所属政党: 無所属
資格: 技術士(森林部門)
関厚氏は技術士(森林部門)の資格を持ち、専門技術者としての一面も持っています。
趣味の百人一首では『ねんりんピック』に県代表として出場するほどの腕前!
多忙な仕事の合間にも文化的な活動に取り組んでいた様子がうかがえます。
また、関厚さんはいくつかのニックネームがあり、選挙期間中には自身のことを「ジャムおじさん」と呼んでいたとか(笑)
この記事でわかること
- 関厚の学歴
- 関厚の経歴
- 関厚の家族構成
- 関厚のプロフィール
関厚の学歴は京都大学卒の秀才!
関厚さんの学歴はこちらです。
高校:秋田県立花輪高等学校(偏差値49)
大学:京都大学農学部林学科(偏差値62.5~68)
高校:秋田県立花輪高等学校(偏差値49)
関厚さんの学歴で、高校は秋田県の秋田県立花輪高等学校を卒業しています。
<秋田県立花輪高等学校(現・秋田県立鹿角高等学校)>
所在地:秋田県 鹿角市 花輪明堂長根12
偏差値:49(普通科)
後述しますが、関厚さんは地方の高校から、全国最難関として知られる京都大学に合格し入学を果たしています。
花輪高校は現在の偏差値が49とされていますが、関厚さんが在学していた1970年代初頭は、もしかしたら今よりも偏差値が高い学校だったのかもしれませんね。
いずれにせよ、地方の高校から京都大学への進学は、関厚さんがいかに優秀な人物かを表していますね!
秋田県立花輪高等学校は2024年より近隣の高校と統合され、秋田県立鹿角高等学校となりました。
<秋田県立花輪高等学校の著名な卒業生>
- 小林範仁(ノルディック複合選手)
- 浅利純子(マラソン選手)
- 松橋暁(元スキージャンプ選手)
- 松宮隆行(長距離走選手)
大学:京都大学農学部林学科(偏差値62.5~68)
関厚さんの学歴で、大学は京都大学農学部林学科の出身です。
<京都大学>
住所:〒606-8501 京都府京都市左京区吉田本町
創立:1897年
関厚さんは高校卒業後、地元の秋田県から京都府にある京都大学農学部林学科へと進学しました。
1976年に京都大学を卒業後は、農林水産省へ入省しています。
<京都大学の著名な卒業生>
- 宇治原史規(お笑い芸人(ロザン))
- 近衛文麿(政治家)
- 黒川紀章(建築家)
- 細野豪志(元環境大臣)
- 仁坂吉伸(和歌山県知事)
関厚の経歴は農林水産省の官僚を経て鹿角市長に!
関厚さんの経歴はこちらです。
大学卒業後:農林水産省林野庁に入庁
2006年:農水省を退職して『日本森林技術協会』に勤務
2017年:『日本森林技術協会』退職、帰郷
2021年:鹿角市長選挙で初当選
2025年:職員へのパワハラ問題で市長職失職
農林水産省時代
関厚さんは大学を卒業した1976年に、農林水産省に入省しました。
関厚さんの農水省勤務時代は、林野庁で主に林業行政に携わり、専門性の高いキャリアを積み上げていきます。
農水省内では着実にキャリアを積み、関厚さんは林野庁基盤整備課長という重要ポストに昇進。
林野庁は日本の森林・林業行政を担う組織でなので、関厚さんは基盤整備課長として、森林整備や林道開発などの基盤づくりに関わる政策立案や予算配分に携わったと考えられます。
さらにキャリアを重ね、関厚さんは中部森林管理局長にまで昇進しました。
森林管理局は全国に7か所ある国有林を管理する組織であり、局長はその地域における国有林管理の最高責任者です。

『日本森林技術協会』林業技術士~地元へ帰郷
2006年(平成18年)、関厚さんは約30年にわたって務めた農林水産省を退職。
その後は『日本森林技術協会』に勤務します。
<一般社団法人 日本森林技術協会(日林協)>
昭和24年創設。森林・林業・木材産業の健全な発展に資するための林政上の諸問題について調査・検討し、提言や普及・啓発を積極的に行っている。
関厚さんは日本森林技術協会では、官僚時代に培った森林・林業に関する専門知識や行政経験を活かした業務に従事。
その後、2017年に『日本森林技術協会』を退職し、故郷である秋田県鹿角市に帰郷しました。
関厚さんは地元に戻った後、木材価格の評価・調査に関する仕事に従事し、地元の林業振興に尽力しました。
また関厚さんは、鹿角産業文化研究所代表、舟場町自治会長等も務めていました。
鹿角市長時代
2021年(令和3年)2月25日、関厚氏は鹿角市長選挙への立候補を表明しました。
6月20日に行われた選挙では、対立候補の会社経営者の岩船かつひろさんを破り、9,257票(得票率57.7%)を獲得して初当選を果たします。
市長就任後は、関厚さんは豊富な行政経験と林業分野の専門知識を活かした市政運営を目指すものの…
2023年には元職員の公金着服問題、そして、市長選挙前の後援団体への寄付が公職選挙法違反の疑いで告発される事態となりました。
関厚さんが選挙期間中に投稿したXには、事実無根の選挙妨害を受けたりするなど、市長就任前から波乱続きだったようです。
事実と全く異なる「有罪判決を受けた当事者が市長候補という鹿角市はどうなっているんだ!異常だ!大丈夫か?」は選挙妨害にあたり、6月4日に鹿角警察署へ「被害届け」を提出しています。
引用:関厚X投稿より(2021.6.5)
パワハラ問題で市長職失職
2024年6月に市議会で「市長の言動がパワハラ的」との発言が起こり、市職員へのアンケート調査が実施され、その結果「市長からパワハラやパワハラ的な言動を受けた」または「目撃した」と回答した職員が全体の29.5%に達しました。
具体的には「俺の言うことを聞かないやつは懲戒免職にしてやる」「退職金をもらえなくしてやろうか」などの高圧的な発言が報告され、2025年1月には弁護士による第三者調査委員会が12件のパワハラを認定する報告書を公表。
関厚さんは「真摯に受け止め反省したい」と述べつつも、辞任は否定しました。
この関厚さんの市長パワハラ問題を受け、2025年1月30日に市議会は市長に対する不信任決議案を可決(賛成15、反対2)。
しかし、関厚さんは市議会解散の道を選びました。
ただ、2025年3月9日に行われた鹿角市議会選挙の結果、関厚さんに対して不信任の立場をとる議員が多数を占めることに…
2025年3月21日に2度目の市長の不信任決議案が可決(賛成14、反対4)されたため、地方自治法の規定により、同日付で関厚さんは鹿角市長職を失職しました。
この鹿角市長パワハラ問題は、ネット上では「兵庫県知事のパワハラ問題と似ている」と話題に。
関厚さんを擁護する声がある一方で、関厚さんが「民意を問うために市議会解散を選んだのに再度市長選に出馬するのはおかしい」と批判する声もみられます。



関厚の家族構成は妻と息子2人
関厚さんの家族構成は、妻と2人の息子です。
関厚さんの家族については詳しい情報がほとんど明らかになっていません。
ただ、今後、関厚さんが再び鹿角市長選挙に出馬することが予定されているので、妻や息子たちも応援に駆け付ける可能性があるかもしれません。
関厚さんの息子たちの詳細な情報は公開されていませんが、関厚さんが71歳という年齢を考えると、お2人とも成人していると考えられます。
また、関厚さんには孫が一人いるとの情報も見つかっています。
【まとめ】関厚の学歴は京都大学農学部林学科!経歴は農林水産省の官僚を経て鹿角市長に!
今回は「関厚の学歴は京都大学農学部林学科!経歴は農林水産省の官僚を経て鹿角市長に!」と題してお送りしました。
<この記事でわかったこと>
- 関厚の学歴は、高校は秋田県立花輪高等学校(偏差値49)、京都大学(偏差値65~75)
- 経歴は
このように関厚氏は、地方出身ながら秀才として名門大学を卒業し、農林水産省で長年キャリアを積んだ後、故郷に戻って政治家となった人物です。林業行政のエキスパートとしての知識と経験を持ちながらも、職員とのコミュニケーション問題により市長職を失うという結果となりました。