福岡県知事選に出馬し、2期目当選を果たした服部誠太郎さん。
学歴を調べると、福岡の名門高校である小倉高校の出身の秀才で、経歴は県庁職員44年から県知事という、まさに「福岡県一筋」な方であることがわかりました。
2021年の県知事選では得票率80%超えの、超人気の高い服部誠太郎さんの学歴や経歴、そして麻生太郎さんとの関係性についても詳しく見ていきましょう!
この記事でわかること
- 服部誠太郎の学歴
- 服部誠太郎の経歴
- 服部誠太郎と麻生太郎の関係服
- 部誠太郎のプロフィール情報
服部誠太郎のプロフィール情報
服部誠太郎さんのプロフィール情報はこちらです。
氏名:服部 誠太郎(はっとり せいたろう)
生年月日:1954年9月11日(70歳)
出身地:福岡県小倉市(現・北九州市)
最終学歴:中央大学法学部 卒業(法学士)
職業:福岡県知事(2期目)
政党:無所属
家族構成:妻、娘3人
趣味:野球観戦(ソフトバンクホークス)、旅行
座右の銘:「自らの内にある無限の力を信じよ」
服部誠太郎さんは1954年9月11日生まれの70歳で、福岡県小倉市(現在の北九州市)出身です。
2021年より福岡県知事の職にあり、所属政党はありません。
服部誠太郎さんは年齢を感じさせない精力的な活動で知られる一方、私生活ではご家族を大切にされていて、妻との間に3人の娘さんがいるとされています。
服部誠太郎さんの趣味は野球観戦と旅行で、特に地元のプロ野球チームである『ソフトバンクホークス』の熱心なファンとしても有名です。

服部誠太郎の学歴は偏差値69の名門・小倉高校出身の秀才!
服部誠太郎さんの学歴はこちらです。
<服部誠太郎の学歴>
- 小学校:北九州市立泉台小学校
- 中学校:北九州市立篠崎中学校
- 高校:福岡県立小倉高等学校(偏差値69)
- 大学:中央大学法学部(偏差値62.5)
小学校:北九州市立泉台小学校
服部誠太郎さんは1960年代に北九州市立泉台小学校に進学します。
<北九州市立泉台小学校>
所在地:〒803-0828 福岡県北九州市小倉北区愛宕2丁目8−1
服部誠太郎さんは小学校時代から真面目かつ几帳面な性格で、授業に熱心に取り組むだけではなく、学級活動にも積極的に参加してリーダーシップを発揮していました。



小学校時代の服部誠太郎さんを知る関係者によれば、服部誠太郎さんは常に物事を深く考える人物で、「なぜ?」という疑問を大切にする子どもだったとのこと。
この飽くなき探究心は、後の行政マンとしての姿勢にも通じるものがありますね。
また、服部誠太郎さんは地域行事にも積極的に参加するなど、故郷への愛着を育む原体験が小学校時代にあったことがわかります。
中学校:北九州市立篠崎中学校
服部誠太郎さんの学歴で、中学校は北九州市立篠崎中学校出身ということがわかりました。
<北九州市立篠崎中学校>
所在地:〒803-0815 福岡県北九州市小倉北区原町2丁目8−1
服部誠太郎さんが北九州市立篠崎中学校へ進学した1960年代後半から70年代初頭にかけての篠崎中学校時代は、高度経済成長の真っただ中であり、日本全体が活気に満ちていた時期です。
当時の篠崎中学校は地域の中でも進学校として知られていて、服部誠太郎さんも学業面で着実に力をつけていきます。



服部誠太郎さんは生徒会活動にも参加し、中学時代にもリーダーシップの芽を育みました。
また、服部誠太郎さんの地元では、1963年に五市合併で北九州市が誕生。
北九州市は工業都市としての成長が著しい反面、公害問題という大きな課題も抱えていました。
こうした地域の現実に触れる中で、服部誠太郎さんは「行政の役割」についての関心が芽生え始めたのかもしれませんね。
高校:福岡県立小倉高等学校(偏差値69)
服部誠太郎さんの学歴で、高校は福岡県立小倉高等学校出身ということがわかりました。
<小倉高校>
所在地:〒803-0828 福岡県北九州市小倉北区愛宕2丁目8−1
偏差値:69(福岡県内15位/ 438校中)
1969年、服部誠太郎さんは福岡県の県内有数の名門校、福岡県立小倉高校に進学します。
偏差値69を誇る小倉高校は、1908年創立の伝統校であり、多くの著名人を輩出してきました。
小倉高校時代の服部誠太郎さんは、文武両道の校風の中で主に学問に打ち込みました。
特に社会科系の科目に強い関心を示し、日本史や政治経済の授業では「鋭い質問を投げかける姿が印象的だった」と当時の先生は振り返っています。
放課後は図書室で法律や行政に関する本を読み漁るなど、服部誠太郎さんはすでに高校生の時点で将来の方向性を決めていたことがうかがえます。
<小倉高校出身の著名人>
- 自見庄三郎(元郵政大臣)
- 高木美智代(衆議院議員)
- 吉田秀雄(電通四代目社長)
- 白川方明(第30代日本銀行総裁)
大学:中央大学法学部
服部誠太郎さんの学歴で、大学は中央大学法学部出身ということがわかりました。
<中央大学 法学部・茗荷谷キャンパス>
所在地:〒112-8631 東京都文京区大塚1丁目4−1
偏差値:62.5(法学部)
高校卒業後、服部誠太郎さんは1973年に中央大学法学部に進学します。
中央大学法学部は法曹界の名門と呼ばれ、服部誠太郎さんが入学した1970年代前半は、司法試験合格者数で東京大学と肩を並べるほどでした。
服部誠太郎さんは大学では行政法や憲法、地方自治法などを中心に学び、将来の行政マンとしての基礎知識を身につけていきます。



また、服部誠太郎さんは首都圏の大学で学ぶ中で、故郷の福岡県を客観的に見つめ直します。
当時は東京一極集中が進みつつあり、多くの地方出身の学生は首都圏での就職を選ぶことがほとんどだったそうですが、服部誠太郎さんは地元福岡に戻って地域発展に貢献したいという思いを強く抱くように。
4年間の学生生活を経て1977年3月に卒業すると、地元に戻り、福岡県庁への入庁を決めました。
<中央大学出身の著名人>
- TASSHI(ミュージシャン:Aqua Timez)
- 加瀬亮(俳優)
- 阿部寛(俳優)
- 阿部慎之助(読売ジャイアンツ監督)
服部誠太郎の経歴
服部誠太郎さんの経歴はこちらです。
<服部誠太郎の経歴>
- 1977年:福岡県入庁
- 2004年:私学学事振興局学事課長
- 2006年:財政課長就任
- 2009年:総務部次長
- 2010年:福祉労働部長
- 2011年:福岡県副知事
- 2017年:福岡県知事職務代理者に選出、久留米リサーチ・パーク取締役副会長
- 2021年:1月、福岡県知事職務代理者に就任、4月14日、福岡県知事就任
1997年:県庁入庁
服部誠太郎さんは1977年に福岡県庁に入庁します。
入庁後、服部誠太郎さんは財政部門に配属され、県の予算編成という最も重要な業務に携わることになります。



20代後半からは福岡県農林事務所での勤務も経験し、この時期に培った現場感覚は、後に政策立案者となった際の大きな強みとなりました。
福岡県農林事務所時代の服部誠太郎さん
服部誠太郎さんは地域の課題に直接向き合うことで、机上の理論だけでは解決できない行政の難しさと面白さを体感したと振り返っています。
その後、服部誠太郎さんは2004年に私学学事振興局学事課長に就任。
教育行政の分野でも手腕を発揮しました。
2006年~:財政課長、総務部次長、福祉労働部長に就任
服部誠太郎さんのキャリアの転機となったのは、2006年の財政課長就任です。
それまでの福岡県庁では財政課長は国の省庁からの出向者が務めることが慣例でしたが、この重要ポストに生え抜き職員として初めて服部誠太郎さんが抜擢されます。



その後も服部誠太郎さんは順調にキャリアを積み重ね、2009年に総務部次長、2010年には福祉労働部長に就任します。
特に福祉労働部長時代は、東日本大震災の発生を受けて、福岡県の防災体制の強化や、被災地支援の取り組みにも尽力しました。
2011年:福岡県副知事
2011年、小川洋知事の下で、服部誠太郎さんは副知事に就任します。
名実ともに福岡県政のナンバー2となった服部誠太郎さんは、副知事として9年間余り務める中で、2017年には知事職務代理者にも任命されました。
また、2017年には『久留米リサーチ・パーク』取締役副会長も兼任し、産学官連携による地域振興にも取り組みました。
そして2021年、小川前知事の病気療養に伴い再び知事職務代理者を務めます。



2021年:福岡県知事に就任
小川前知事の病気療養による辞職に伴い、2021年4月に行われた福岡県知事選に服部誠太郎さんは出馬します。
服部誠太郎さんは自民党・公明党・社民党の支持を得て、無所属で新人の元福岡市議・星野美恵子さんを破り、見事に初当選を果たしました。



また服部誠太郎さんの当選は、福岡県初の私立大学出身かつ、県職員出身の生え抜きからの大躍進でもありました。
服部誠太郎さんの1期目の知事の実績はこちらの動画がわかりやすいので、ご紹介します。



2024年11月、服部誠太郎さんは知事2期目を目指して立候補を表明し、2025年3月現在は、3月26日に行われる福岡県知事選に向けて選挙活動を行っています。
服部誠太郎と麻生太郎の関係は「福岡県を発展させる同士」
ネット上で服部誠太郎さんの名前を検索すると「服部誠太郎 麻生太郎」という検索結果が登場します。
調べたところ、服部誠太郎さんと麻生太郎さんには以下のような関係性が判明しました。
- 同じ福岡県北九州市出身
- 2021年に県知事選に出馬した際、自民党福岡県連を通じて麻生氏の支援を受けたとされている
- 服部誠太郎氏の県庁職員時代(特に財政課長や総務部次長を務めていた頃)より、国の予算獲得の際に麻生氏との協力関係があったといわれている
- 知事就任後、福岡県の大型プロジェクトや企業誘致の実現に麻生氏の尽力があったといわれている(北九州市の響灘地区における再生可能エネルギーや水素エネルギーの拠点化計画、半導体産業振興、日産自動車の電池工場誘致など)
→服部知事は行政のプロフェッショナル、麻生氏は国政レベルでの発言力と人脈を持つという、互いの強みを活かした協力体制が確立されている!
政治スタイルは対照的な二人ですが、服部誠太郎さんと麻生太郎さんは、地域発展という共通目標に向けて実務的な連携を重視しています。
服部知事は県庁内部から昇進した堅実な行政マンであり、麻生氏は家族の政治的背景も持つ派手なキャラクターの政治家ですが、こうした違いを超えて福岡県の発展のために協力関係を構築している点は注目に値します。
今後も福岡県の様々なプロジェクトにおいて、服部誠太郎さんと麻生太郎さんの連携は続くものと予想されます。
【まとめ】服部誠太郎は偏差値69の小倉高校出身!経歴は県庁職員44年を経て政治家に!
今回は「服部誠太郎は偏差値69の小倉高校出身!経歴は県庁職員44年を経て政治家に!」と題してお送りしました。
<この記事でわかったこと>
<服部誠太郎の学歴>
- 小学校:北九州市立泉台小学校
- 中学校:北九州市立篠崎中学校
- 高校:福岡県立小倉高等学校(偏差値69)
- 大学:中央大学法学部(偏差値62.5)
<服部誠太郎の経歴>
- 1977年:福岡県入庁
- 2004年:私学学事振興局学事課長
- 2006年:財政課長就任
- 2009年:総務部次長
- 2010年:福祉労働部長
- 2011年:福岡県副知事
- 2017年:福岡県知事職務代理者に選出、久留米リサーチ・パーク取締役副会長
- 2021年:1月、福岡県知事職務代理者に就任、4月14日、福岡県知事就任
麻生太郎氏とは、福岡県の発展を目指す「同士」で、県庁職員時代から親交がある。
福岡県の名門・小倉高校から中央大学法学部へと進学し、その後は県庁職員から知事へと上り詰めた服部誠太郎さん。
派手なパフォーマンスや強烈な個性で政治の舞台に出てきた政治家ではなく、44年間の行政経験を通じて培った専門知識と実務能力を武器に、地に足のついた県政運営を行っています。
知事2期目に向けて、選挙戦を全力で戦い抜いてほしいですね。